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南風原、陸軍病院跡を訪ねる

暗い話ですみません
前にも書きましたが、新型インフルのおかげでハワイ旅行から沖縄旅行に変更。それ以来、沖縄の文化にハマりだして、早3年。
色んな事調べ始めました。
気になってしょうがないというのが実態なんですが
米軍基地の事
沖縄独特の宗教の事
それにもまして調べてきたのが、太平洋戦争末期、硫黄島と同じく地上戦となった沖縄戦のこと、
本を読んだりネットで調べたりして見ました。特に、現場の仕事に戻ってからのこの頃は、頭の中が楽になっているので、興味もひとしお、調べも進みました。
この間、沖縄に行っても、「9割観光、でも1割勉強」をモットーに少し訪ね歩きました。
1、チビチリガマ
2、きゃん岬
3、ひめゆり、平和祈念公園
4、海軍司令部

今回は南風原町にある「南風原文化センター」および「陸軍病院第20号壕」を見学しました。
4日、16時半ころ文化センターを訪ねましたがあいにく壕の見学は終了、予約を入れました。
そして、受付の右手からスタートする、沖縄戦の資料館を見ました。
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壕を模した展示会場に入るとさすがに息が詰まります。2段ベットが置いてあり、血のついた軍服を着た人形が横たわっています。ちょっときつい。
その陸軍病院壕を過ぎると、南風原の戦禍の様子が記された資料が続きます。

6日の朝、改めて、今度は陸軍病院20号壕を訪ねました。
受付の奥さん、掃除をしている奥さん、それと説明してくれるおじさん3人がいました。
挨拶もそこそこ、おじさんに連れられて、20号壕に入ります。
ここも息の詰まるような、別の空気を感じます。さすがに木製の2段ベットはありませんでした。掘った壕そのものを見てきたというところです。入り口近くには、米軍の火炎放射器で焼かれ黒ずんだ天井、朽ちた柱、少し進むと以前はあったらしい、韓語で書かれた天井の刻み後、19号と21号の出会う横穴付近、ベッドが並べられた部分、そうして薬品が埋まっていた出口付近。そんな壕でした。
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資料を要約してみると、1944年ころは首里に置かれていた病院、空爆などで首里を撤退したのちは南風原の国民学校校舎あたりに病院を移転していたよう、所が戦禍がますにつれてそこも撤退、地域住民が徴用されて、約30もの壕を掘り、そこに移転したとあります。
ちょうど訪ねて行ったこのころ、つまり1945年の6月あたりが、南風原から南へと撤退していくころで、悲惨な状況だったようです。
この陸軍病院で働いていたのが、有名なひめゆり女子挺身隊とのことです。

沖縄が好きと簡単に言ってしまっていいのかよくわからなくなってくるけれど、
独特の島文化、米軍の駐留、大自然、それらが混とんとまじりあっているそんな今の沖縄が好きなのは間違いありませんが忘れてはならないのが、背景にはこうした、悲しい過去を持っているということですね。また、沖縄の人たちはこのことを大切に伝えようとしている、それを忘れてはいけませんね。
前回のチビチリガマで出会ったおばあさんや、今回の20号壕で案内してくれたおじさん、頭が下がります。
by tks23118 | 2011-06-08 21:59 | 沖縄な話


海や山から小さな幸せの欠片を集めてくる係をしています。


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