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一中健児の塔にてをあわせた

あ、どうも、比嘉たかしです。

ほんとはfbで書こうかと思ったんだけど、やめた。
だって真面目な話なんだもん。

7月6日の朝、俺と嫁は首里の町をすこし歩いた。確かにそれは、当初からの計画だったんだけど、結果的には忙しい1日となったんよ。
次の日、ゆっくり見学お買い物しようとしたアウトレットモールあしびなーも、この日の中に組み入れたからね。
金城の石畳→ホテル戻り→千日でかき氷→北谷ジャスコ→恩納村ムーンビーチ→高速にのってあしびな→ホテル→国際通りの波照間
すごい移動距離でしょう
でもね、レンタカー返すときガソリン入れたら10リットルしか入らなかったのね。
なんという低燃費
おれのエクスプローラなら途中一回ガソリン入れてるね。

さてさて、だいぶ話がそれてしまいました。朝ご飯を食べた俺たちはさっそく付近の地図を頼りに金城の石畳にいきました。
歩いていったんだけど、たまうどぅんの手前を右にまがり、細い道を奥に行って左手に曲がりました。

そこには【一中健児の塔】は、勿論の事、と大きな庭、首里高校弓道部の皆さん方がいました。
一中健児の塔とは沖縄戦で圧倒的に劣勢な日本軍が行ったいわゆる現地招集の防衛隊のことで一中、つまり高校生たちを招集し、主に弾薬や兵器の輸送、傷病兵の移送、伝令、道案内などを、主たる任務としていました。
しみじみと読みます。
一中健児の塔にてをあわせた_d0085768_1721012.jpg

塔は意外にも大きくて驚きました。もっとこじんまりとしたものかと思ってました。俺との比較で大きさがわかると思いますが。
一中健児の塔にてをあわせた_d0085768_1722354.jpg
 
大きな庭の片隅に弓道部の練習場があり、若い人たちが練習していました。挨拶もしてくれました。
と、この子たちと同じ年齢の学生が70年前は日本兵と行動を共にし、死ととなり合わせの日々を送っていたかと思うと、やるせない気持ちになります。
とともに、オスプレイや辺野古という加重なふたんにくるしんでいる沖縄のみなさんを知っていて、現に見ていて、なお、昔の話を研究している、ふり、をしている、自分がいやらしく、意気地ない人間のように感じたりもします。
確かに沖縄の人を応援しようとしてもここ長野とのとてつもない距離感が、行動させない原因かともおもいますか、何かしらのことが出来るのではないかも考えてます。この心の引っかかり、なんとかならんものか!
by tks23118 | 2014-07-14 18:10 | 沖縄な話


海や山から小さな幸せの欠片を集めてくる係をしています。


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